はじめに
今回概論を行うにあたってどの作品を扱うか非常に迷った。結局「県立海空高校野球部員山下たろーくん」(以下「山下たろーくん」と略す)を扱うことにした。理由は簡単で、「山下たろーくん」概論を通して、こせきこうじ先生の世界に触れるきっかけを皆さんにもってもらいたかったからである。高度情報化社会と言われる現代社会において、それに比例するかのように複雑化し、多様化し続ける現代漫画社会。そのような状況にあって光一点となっている「山下たろーくん」を読むことは決して損にはならないであろう。
1.
「県立海空高校野球部員山下たろーくん」とは
「山下たろーくん」は『ジャンプ』の黄金期に書かれた、こせきこうじ先生の初期作品である。連載が始まる前に書いた二本の読み切りがベースになっている事は、その内容(21巻に二話とも掲載)と作者のコメントから明らかである。内容を要約すれば、何をやらしてもどじで、まぬけで、生きてても邪魔なだけとまで言われ、惨めで酷たらしく、見るに忍びない野球部員山下たろーが、海空高校野球部員の仲間達とともに、史上最高(甲子園優勝)を目指して試合を戦っていく物語である。地区大会決勝から始まり、県大会、関東大会、そして甲子園といつも緊迫した試合展開(試合のほとんどは一点差試合)を繰り広げ、チームごとに濃いライバルキャラクター(近藤、山田、高木等々)が出てくること、そして何よりたろーのひたむきな姿を描いているのが、長期連載となった原因であろう。
2.
「山下たろーくん」の特徴
「山下たろーくん」はとにかく構図がシンプルである。近年「多重人格探偵サイコ」に見られるように設定が複雑で、先の見えない漫画が多くなりつつあるが、「山下たろーくん」はその対局に位置し、非常に解りやすい漫画だと言える。出てくるキャラクターは主人公を除いて名前がなく、技の名前、テクニック、他のネーミングなどまさにシンプルイズベストの極地にあると言えるだろう。これは伝えたいことを正確に、解りやすく伝えるための手法であり、決して作者の手抜きではない。そこを読み違えないようにしたいものである。
3. 作者の伝えたかったこと
それを一言で言うならば「努力すればできないことはない」である。作品中においてたろーは何度も危機に立たされるが、その度に努力とちょっとした機転によって切り抜けている。一度だけ「努力だけではどうにもならない」ことが描かれている場面があるが(対明陵戦参照)、そこではたろーが史上最高を目指すきっかけを描くことで、苦しいときほど原点に帰ることの重要性を作者は伝えたかったと思われる。
4.山下たろーに見る少年誌主人公に関する一考察
一般受けする少年誌の主人公は大抵、@主人公が漫画の始めから、卓越した能力を持っており、様々な異能力者とバトルを繰り広げる、A元々は弱い主人公が漫画の中で様々な経験を通して成長していく、という2パターンに別れるであろう。@の例として「ドラゴンボール」、「北斗の拳」、「るろうに剣心」、「ワンピース」などがあり、Aの例として「山下たろーくん」、「スラムダンク」、「ダイの大冒険」、「ヒカルの碁」などがある。今回取り上げた「山下たろーくん」はAにおける代表格、いやむしろAのスーパーモデルとさえ言えるだろう。
実はAを描くことは大変難しいことであると私は思う。それは主人公の成長とともに、必然的に漫画の内容が変わってくるからである。その原因として「スラムダンク」に見られるようなパターンか「ダイの大冒険」のようなパターンに陥ることが挙げられる。「山下たろーくん」も後半部分においてやや「ダイの大冒険」パターンに入りかけるが、そこを9人いないと野球はできないという野球漫画の利点と、甲子園という時間的条件、無節操なまでのライバルの強さを強調することで切り抜けている。考えてみて欲しい。かつて「百年に一人の大鈍才」などと惨めにおとしめられて描かれた主人公がいたであろうか(『名門第三野球部』を例に挙げての反論は論外である)。また、成長しても成長しても、駄目に描かれ続ける主人公がいたであろうか。そのスタイルは結局最後に海空高校が甲子園で優勝するまで貫かれた。であればこそ山下たろーくんは、最後の最後まで「発展途上人間」であり続け、そして見事に史上最高の野球部員という称号を手に入れたのである。
さいごに
現在『コミックバンチ』という青年雑誌にて「株式会社大山田出版仮編集部員山下たろーくん」という連載が行われている。これの内容に関しては読んでももらうのが一番であり、ここでは敢えて触れない。だが、「山下たろーくん」の流れを脈々と引き継ぐこせきワールドが展開されているのは間違いない。旧「山下たろーくん」を読んでいれば、きっと無条件で続「山下たろーくん」にはまる事だろう。ぜひ読んで欲しい作品である。