最新更新日:
03/07/02

那覇ハーリー巡検

ハーリーとは
 ハーリーとは、旧暦5月4日に行われる競漕行事のことである。ハーリーは<爬龍>の中国語音で竜のこと。競漕のに用いる船は舳に竜頭、艫に竜尾の彫り物を飾っている。ハーリーの起源についてはこれまで楚の憂国詩人屈原の故事に結びつけて説かれていたが、馬淵東一氏によると、ハーリーは東南アジアの農耕民族が雨乞い祈願行事として行っているもので、それがハーリーの元の姿である。

那覇ハーリーについて
 那覇ハーリーの歴史は古く、文献からたどれるその起源は、18世紀初頭にまでさかのぼるります。期日も現在の新暦5月3日〜5日のゴールデンウィーク期間中ではなく、沖縄各地で行われるハーリー同様旧暦5月4日に行われていました。かつては久米、那覇、泊の3つの爬龍船による競漕が那覇ハーリーのメインでしたが、沖縄戦の影響で古式ゆかしい那覇ハーリーは中断を余儀なくされます。戦後、1975年(昭和50年)の海洋博をきっかけとして那覇ハーリーは復活しますが、以前のものとは大きく様変わりし、毎年行事開催期間の3日間で約15万人が訪れる那覇の一大観光イベントとなっています。

巡 検
 那覇ハーリーは新暦5月3日、4日、5日の3日間行われますが、メインの行事が5日に行われるため、今回の巡検では5日だけ見に行きました。以下に那覇ハーリーではどのようなことが行われているかを、今年の那覇ハーリーで見たことをもとにまとめてみました。 那覇ハーリーは毎年那覇新港にて行われます。

(1)職域対抗レース
 会社や地域などでチームをつくって、どのチームが最も速いかを競うもので、戦後復活した那覇ハーリーのメインイベントとなっています。レースによっては女性のチーム同士の対決や、米軍の海兵隊、空軍、海軍の3つのチームによる対決などもあり、なかなか白熱したレースを見ることができました。また、今年からエントリーしたという泊青年会チームは、速さを競うよりも伝統的な形式にのっとったやり方(衣装の統一、旗振り、船上での空手披露等)でレースに参加し、戦前の那覇ハーリーの様子を見せてくれました。
 ちなみに今大会(2002年)で優勝したチームは陸上自衛隊の皆さんでした。おめでとうございます(^0^)/

(2) 御願バーリー
 久米、那覇、泊の爬龍船にそれぞれ那覇市長、OTV社長、爬龍船振興会会長が乗り込んで、ハーリー歌という歌を歌いながら港内をパレードします。その際に漕いだ櫂を垂直にたてるという独特の仕草を行います。3つの船の漕ぎ手達はそれぞれ、久米は白い服装、那覇は青い服装、泊は黒い服装を身にまとい、それぞれの色が「中国」、「日本」、「琉球」を表しているとされています。

(3) 本バーリー
 御願バーリーが終わった後、久米、那覇、泊による真剣勝負が行われます。戦前の那覇ハーリーの形式を模倣したものとなっています。但しこれに参加するのはそれぞれの地元の人達ではなく、職域対抗に参加するチームから選ばれたチームがそれぞれの船に乗り込んで競漕します。ですから先程紹介した泊青年会チームが泊の船に乗り込むわけではありません。
ちなみに今年は久米が勝ちました。

(4) コンサート、花火等々
 那覇ハーリーの行事それ自体は本バーリーをもって終わりなのですが、ハーリー会場には多数の出店や舞台などが設置されており、舞台ではディアマンテスのコンサートが行われる等、大いに盛り上がります。そしてイベント期間中三日間連続で夜には花火が打ち上がり、最終日の花火をもってイベントは終了となります。

巡検雑感
 新入部員が4月に入って以降2回目の巡検となった今回の那覇ハーリーだが、思っていたよりおもしろいものであった。イベント化が進み、民俗的なものは少ないと思っていたが、御願バーリー、本バーリーでは戦前の那覇ハーリーの様子を垣間見る事ができたし、職域対抗レースにおける泊青年会チームの競漕で、伝統的な爬龍船競漕の様子を見ることができたのは貴重な体験だったと思う。また、本バーリー終了後もコンサートを見たり、花火を見たりと「祭り」を満喫した感がある。こんな巡検(観光?)もたまには良いかもと思った。

さいごに
 ハーリーについてお話をして下さった泊地バーリー研究会の皆さん、どうもありがとうございました。

■巡検風景

アガリバーレー@

アガリバーレーA

一般競争
 
 
 
 
 



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