最新更新日:
03/06/24

ジュリ馬巡検

辻とは
 辻とは1673年尚貞王時代に王府の政策によって村建てが行われた村である。この村は当時の王府が散娼を1箇所に集めて村建てをさせて出来上がった特殊な村であった。現在は残っていないが、辻村には多くの楼閣が立ち並び、那覇における最も大きな遊郭であった。この辻村の構成員は売笑を生業としていたジュリ(遊女)たちであり、沖縄のあちこちの農村の貧農の娘たちが辻の抱え親に買われて連れてこられた人々の集まりであった。そのため辻のジュリたちには血縁関係はなく、金銭によって結合された擬似的親子兄弟の関係によって形成されていた。しかし彼女たちは肉親以上の情を通わせ合い、女性だけの廓社会を築き、自らを治めていた。

参考文献 『那覇市史 資料編』第2巻中の7<那覇の民俗>


ジュリ馬とは

 ジュリ馬は辻最大の行事で旧暦1月20日(二十日正月)に行われる。これは明治41年ごろまでは夜中から夜明けにかけて、明治42年ごろからは夜が明けてから、大正3年ごろからは正午から行うようになってきたという。
 ジュリ馬当日は朝早くから御願を行い、辻の繁栄を願った後、ジュリ馬行列が行われる。このジュリ馬行列は辻に住む全てのジュリが華やかな衣装を身にまとって参加する。行列は「五穀豊穣」「祝豊年」と書いたのぼりを先頭にミロクと獅子・お供・太鼓や囃子方・ウマグヮー(馬小)・人力車に乗った「王」・各楼の若いジュリたちの順に並び辻の路地や大通りをスネー(行列)したという。
 この日は那覇首里はもちろん、遠くの村々からも大勢の観客が押し寄せ、日頃辻に足を入れない女性や子供たちも華やかな行列を見るため朝からやってきて、父親や夫のひいきの楼の2階を陣取り、行列が通るのを待ったという。

参考文献 『那覇市史 資料編』第2巻中の7<那覇の民俗>


ジュリ馬の起源

 ジュリ馬の起源や年代は明らかではないが、口碑によると、むかし首里の身分のある娘が遊女となって廓生活をしていた。わずか一里たらずの首里と那覇ではあるが、一旦汚れ果てた身では親兄弟に対面できない、しかし父母や兄弟に会いたい気持ちをどうすることもできず、そこで考え出したのが、遊女たちをあつめて、華やかな行列を催し、わが身もその行列に加わってなつかしい親や兄弟を見物に紛らして、よそ目にその姿に接しようと企てたのがこのジュリ馬の起源である、と伝えられている。

引用文献 『那覇市史 資料編』第2巻中の7<那覇の民俗>

 2002年3月3日、那覇市辻にてジュリ馬を見学した。去年に比べ行列が無くなったと言うこともあり、やや規模は小さかったが、路地には多くの人々が集まり、祭りを見学していた。
 会場には舞台が設営され、御前風、獅子舞、竹富のマミドーマなどの芸能が次々と披露され会場を沸かせていた。
 昼から始まり日も暮れかけた頃、いよいよジュリ馬である。私は全くの芸能音痴であり、民俗芸能を見ても余りピンと来ない男である。しかし甲高い歌声に合わせて「ユイユイ」と唱える女性達は美しいというより、どこか異様な雰囲気を醸し出しており私の心には深く印象づけられるものであった。
 その異様さというのは決して不快なものではなく、その雰囲気に惹かれるというかなんというか目を離せないような不思議な魅力を醸し出していた。


 私の拙い文章ではジュリ馬の雰囲気の断片すらも伝えることができないだろう。また、下の写真を見てもよく分からないと思う。来年はどうなるか分からないがおそらくまたジュリ馬は同じ場所で行われるはずである。是非とも一度ジュリ馬を生で見て欲しい。私が感じたことと同じことを感じるかどうかは分からないが恐らく何かしらインパクトを受けることと思う。
■巡検風景



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