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03/07/31

   寮生の民俗(3) ‐口承文芸・習俗‐    
著者:欺瞞 

10.口承文芸・伝説
 寮には真実かどうかは定かでないが、まことしやかに囁かれ、伝承されているうわさ話、伝説がある。この項ではそのようなうわさ話、伝説を箇条書きで列挙したい。

・女子寮の敷地に男子が入るのは禁止されている。女子寮に侵入しているところを警備員などに発見されると「イエローカード」が出される。イエローカードは2枚でレッドカードに変わり、琉大から退学させられてしまうという。

・男子寮のある部屋(南星棟?)で自殺した人がいたという。また寮生の中に過労死した人がいたという。

・女子のシャワー室が覗けるスポットが存在するとのうわさがある。

・伝説の寮生「Kくん(仮名)」が海邦棟に住んでいる。Kくんは他のいじめっ子寮生たちから拉致されて袋詰めにされたり、無理やり坊主頭にされたりしているらしい。また事実かどうかは定かでないが、「Kくんはハードゲイである」とのうわさが絶えない。ただ「寮のシャワー室で、シャワーを浴びていると後ろにKくんが立ってニヤニヤしていた」といったような体験談が複数寄せられたことは事実である。また「Kくんキジムナー説」「宇宙人説」を唱える者もおり、その実態は謎のベールに包まれている。

11.その他の習俗
・寮弁・・・寮生は全国津々浦々から集まってくる。そのため各地の方言が入り混じり、おかしな言葉を使用するようになる。これを「寮弁」と呼ぶ。私の経験から判断するとやはり関西弁がもっとも「強い」ようだ。また寮には九州出身者も多いため九州弁の影響も強く受ける。寮生に沖縄県出身者は少ないため、意外にウチナーグチの影響は弱い。

・シャワーに関する習俗・・・共同利用のシャワー室が共用棟にあることは前述した。シャワーからお湯の出る時間は1日のうち昼15時から次の日の朝10時までと決まっていて、その他の時間は真水しか出ない。シャワー室がもっとも混雑する時間帯は夜中0時から1時くらいにかけてであり、寮生の生活が夜型であることが見て取れる。シャワー室内にはシャワー口が30個ほど設置されていて、それぞれが半透明の板で仕切られている。その様子はアメリカ映画の中で軍人さんが利用するシャワー室に酷似している。シャワーを毎日浴びていると、なんとなくいつも同じシャワー口を利用してしまうことに気づく。そのお気に入りのシャワー口を他の人が利用していると、「俺のシャワーを取られた!」という気分になる。ある話者に至っては「お気に入りのシャワー口が第1から第3候補まであり、そのシャワーがすべて使われているとシャワーを浴びずに部屋に帰り、また時間帯をずらして浴びに来る」という徹底ぶりである。これが「俺のシャワー」制度である。

・寮離れ・・・寮という特殊な環境に馴染めない、また寮よりも学科やサークルの友人を優先すると言った理由により、次第に他の寮生たちと疎遠になり、退寮していく者も少なくない。そういった現象を「寮離れ」と呼ぶ。ある話者(農学部所属)によれば「千原池の向こう側」の人々は寮離れを起こしやすい」という。「千原池の向こう側」とは法文学部、教育学部、理学部のことを指している。このような表現は琉大の千原キャンバス内で千原池を挟んで北口の側に工学部、農学部、寮があるのに対して、東口の側に法文学部、教育学部、理学部が立地していることに起因している。法文学部、教育学部、理学部は工学部、農学部に比べて女子学生が非常に多い。前述の話者は「千原池の向こう側」の人たちはだんだんそっち(女子学生を含む学部の友達グループ)の方に行く」と語った。どうやら「寮離れ」「千原池の向こう側」という表現は、農工系の男子寮生にとって「あいつらは自分たちと違う」という侮蔑と羨望の入り混じった表現であるようだ。

・麻雀・・・ユニットのリビングには必ずと言っていいほど雀卓が設置されている。寮内で行われる麻雀はメンツにもよるが、「3人打(ぶ)ち」が好まれる傾向にある。また麻雀の際には、…ええと、何と言うか…、うーん…、あのー、日本銀行から発行されている夏目漱石の顔が書かれた紙とかあるでしょ?その紙の類いをかけて行われることが常であるようだ。
 また周知の通り麻雀は相当な騒音を伴うにも関わらず、夜中から朝方にかけて行われる。特に雀卓が設置されているリビングのすぐ前の部屋に住んでいる者にとってその騒音は相当な苦痛であるはずだが不思議と苦情は出ない。何より「言ってもムダ」であるし、麻雀の騒音は日常茶飯事でもう慣れてしまっているからである。

おわりに
 以上のように、寮生の生活を見てきたわけだが、寮生の言動の中には一般常識と照らし合わせて「非常識だ」と言われても致し方ない点があるように思う。寮生たちは寮という閉鎖された空間で寝食をともにするうちに独自の世界観を築いていき、またその世界観は確実に伝承されていったようである。
しかしその非常識に耐えられず、ある者は「寮離れ」を起こし、自主的に寮を去っていく。一方では退寮させられた後も寮に入り浸る者が数多くいるのである。彼らは一人暮らしの淋しさと共に寮の「気を遣わないでよい」点に居心地の良さを感じているようだ。ただ寮を離れていく人たちにとって「気を遣わない」人たちは「迷惑」であり「非常識」というように映るのであろう。
 「気を遣わない」ことを「居心地が良い」と捉えるか、それとも「迷惑」と捉えるか。そこが寮で暮らしていけるかどうかの分岐点になっているようである。
(了)




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