最新更新日
04/06/03

沖縄のグスク

著者:花鳥風月


はじめに
 2000年12月、首里城跡、玉陵、園比屋武御嶽石門、識名園、斎場御嶽、中城城跡、勝連城跡、座喜味城跡、今帰仁城跡の9史跡が「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」として、ユネスコの世界遺産に登録された。今日、グスクは沖縄の観光スポットとして脚光を浴びているが、沖縄県内には世界遺産に指定されるほど注目を集める事はないにしろ、村々の風景の中に溶け込んだグスクや御嶽が数多く存在する。今回は、このグスクについての概観を述べていきたいと思う。

1.グスクとは

 グスクは「城」という字があてられる事が多いためか、石積みの城塞をイメージする人が多いかもしれないが、実際にグスクと呼ばれているものには、以下のようなものが挙げられる。
 ・城郭
 ・聖域
 ・葬所
 ・交易・防備拠点  など
 
 上記のように様々な形態をなしたグスクが存在するため、グスクを定義づける事は非常に困難である。この「グスクとは何か」という問いに対して、1970年代を中心にグスク論争(※1)が展開されたが、未だ明確な答えが出るまでには到っていない。また、グスクの語源(※2)に関しても様々な論議がなされている。

※1 グスク論争…1970年代を中心に展開。それまでの歴史学者によるグスク=按司居城説に対して、地理学者・仲松弥秀氏は聖域説を、考古学者・嵩元政秀氏は集落説を提起した。これらを受けて、歴史学者・高良倉吉氏はグスク展開説を唱えた。 
※2  グスクの語源…グスクの語源に関しては、「御宿・御塞が訛ったという説」、「朝鮮語における村、集落=スクに敬語の御をつけたという説」などが挙げられる。
 
2.呼称・分布
 沖縄本島およびその周辺離島ではグスク、グシクなどと呼ばれ、約220件の事例が報告されている。同様に先島諸島ではスクとも呼ばれ、宮古では約5件、八重山では約20件の事例が報告されている。加えて、奄美ではグスクの他にグスコと呼ぶ地域もあるという。
 また、グスクは奄美大島から与那国島まで、琉球弧全域に広く分布しているが、特に沖縄本島南部に密集している。大規模な(軍事拠点的な)グスクは高地に築かれている事が多いが、小規模なグスクは必ずしも高地に築かれているとは限らない。 

3.城郭内部と城壁
 大規模なグスクの内部には、屋敷・建造物の他に御庭(ウナー)、遥拝所(ウトゥーシ)、井戸(カー)などがあったとされている。屋敷がどのようなものであったかははっきりしていないが、瓦が発掘されているグスクは、首里城、浦添グスク、勝連城のみであることから、他のグスクの屋敷では、瓦が使われていなかった事が推測される。また、城郭を取り囲む城壁の石積みは、琉球石灰岩によって作られており、以下のように大きく三つに分けられる。

a.布積み→ 一定の直方体に加工した石を積み上げる  
 
             

b.相方積み→ 石を五角形や六角形に加工して、 かみ合わせるように
積み上げる

             

c.野面積み→ 大小さまざまな石を無造作に積み上げる

             

次に、城郭内部から出土される遺物を挙げておきたい。
 ・グスク土器、近世沖縄陶器
 ・中国製陶磁器(明代)
 ・タイ・ベトナムなどの東南アジア系の陶器
 ・須恵器(カムィヤキ)→鹿児島県徳之島
 ・備前焼→現在の岡山県
 以上のことから、いわゆるグスク時代(11、12〜14世紀)における貿易が、かなり広範囲に渡っていたことが推測されるのではないだろうか。

4.おわりに
 はじめに述べたように、今日におけるグスクは観光資源としての側面が強まってきている。それに伴い、城壁等の復元や周辺部の整備が進んでいる。一方で、グスクに限った話ではないが、観光客の増加は本来そこにあったものの破壊を招いている事を私たちは忘れてはならないだろう。
 グスクは、いまだ未知の部分を数多く秘めている。 今後、様々な学問の成果からその全体像が明らかになるのかもしれない。しかしながら、グスクが未知であるがゆえに、多くの人々の心を惹きつけているのもまた事実ではないだろうか。

(了)




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