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03/06/25

ムーチーを作る
著者:新津ゆうた

ムーチー(鬼餅)
 十二月八日にムーチー(鬼餅)折目と呼ばれる行事がある。この行事は沖縄本島中南部を中心に本島全域で行われているものである。
 ムーチーは「鬼餅」の当て字をしているとおり、元来は悪鬼悪霊の退散を祈る物忌み行事である。那覇地域ではムーチーの煮汁は「鬼の足を焼く」と唱えながら門口や家の隅々に注ぎかけたり、昔はクバの葉で鬼の形を作り、門口にかけて邪気を祓ったともいう。
ムーチーは幅三センチ、長さ十センチくらいの餅を「サンニン」(月桃)や「クバ」(蒲葵)の葉に包んでこれを蒸して作った。これを神仏に供え、子供たちにはムーチーをすだれのように年の数だけ編んで壁や天井から下げ、男の子にはチカラムーチー(力餅)といって特別に大きく作ったものを添えて子供の成長と健康を祈る。

(参考文献:『那覇市史』資料編 第2巻中の7 <那覇の民俗>)


ムーチーの由来
 昔、といっても今から800年ほど前の琉球の舜天王の時代の話であるという。首里の金城(かなぐすく)に兄と妹がいた。後に兄は首里からはなれた大里村に移り住んでいた。妹の名はオタといった。その兄が近ごろ人を殺して食う鬼となり、大里山に住み付いて付近の人々から怖がられているという噂が広がり、妹のオタは心を痛めていた。
 妹は実否を確かめようと思い、子供を背負って兄のいるという大里山を探した。家は分かったが留守だった。中に入ってみると掘立て小屋の炊事場にかまどに火が掛かっていた。怖々蓋を開けてみると、果たして人間の肉が見えた。
 妹は世間の噂は本当だったのだとおびえてしまって、帰ろうとして屋外に出たところへ鬼となった兄がもどって来た。
 お前、何しにきたんだと鬼の兄がいった。長らく会わないからどうしているかと思って、と妹が答えると、それじゃ中に入れ、おいしい肉があるから食べてゆけと兄は誘った。あの気味悪い人肉を見た妹は恐ろしくなって、急いで帰らねばならぬ用事があるからもう帰ると断った。鬼となった兄はせっかく来たんだから是非肉を食べてゆけといってしつこく誘った。
妹はとっさの智恵でせおっている子供の股をうんとつねった。子供は痛いので泣き出した。どうして泣くんだと鬼の兄が尋ねるので、この子は大便がしたいんだよ。外の便所へ行かなくちゃといって行こうとすると、かまわん、家の中でさせろといった。
 妹は家の中でさせるわけにもいかないからといって外にいこうとすると、鬼の兄はこわい顔をして、お前逃げるつもりか、待て、外で便をさせるんだったらこうしてから、といって、長い縄紐を妹の一方の手首に結び付けた。
 妹は遠く離れた木陰に行って子供に便をさせる真似をしながら手首の縄紐を外して木の枝に掛けると、急いで立ち去った。
それと分かった鬼の兄は妹を追い掛けて、オーイオーイと手招いた。それでも妹が駆けて行くので鬼の兄は、お前なんか行き倒れて死んでしまえとどなった。それでその地点をイキシニヒラという。ヒラとは沖縄方言で坂のことである。
 鬼となった兄の正体を知った妹は、世間のためになんとかしなければならぬと思案した。そこでまた智恵を絞った。妹は鬼の兄を接待することにした。自分の食べる餅は当たり前の餅を作り、鬼の兄に食べさせる餅は鉄餅を作った。鉄餅というのは餅の中身に鉄をいれ、月桃の葉で包んで作った物である。妹が鬼の兄を迎えに行く途中で出会った。すると鬼は、お前、この前は逃げたな、さあ今日は肉を食べに行こう、というので、妹は恐ろしくなったが、ここからは兄の家に行くよりも金城の私の家が近いから、うちへ行こう。今日はおいしいご馳走も作ってあるからと言葉巧みに誘った。そして金城(かねぐすく)大嶽(うふたけ)の上にある家へ連れて来た。家よりも御嶽の崖の上の芝生の所がいいからといって、そこへ鬼の兄を座らせた。鉄の餅七個を鬼の前におき、自分のところには普通の餅をおいて鬼に勧めた。
 そのとき妹はわざと着物の裾前を広げ、ホー(陰部)を露出して立てひざで応待した。月のものが出ていてそこは赤くにじんでいた。妹はとてもおいしそうに自分の餅を食べてみせた。鬼の兄は鉄餅をバリバリ食べていたが、ホー(陰部)を見付けた鬼の兄はいぶかって、お前の腹の下で血を吐いている口はなんだね、といって妹のホーを指差した。
 妹は、女には二つの口があるんだよ。上の口は餅を食う口、下の口は鬼を食う口だ、とすごんでみせた。
それを聞いた鬼の兄は魂消てしまった。おお、鬼を食う口かと、妹のすごんだ形相に押されて思わず後ずさりをした。大きくずさった途端に崖の縁から落ちて死んでしまったという。
 金城の小さいほうの御嶽には死んだ鬼の角が葬っているとのことである。このことがあってかた沖縄では鬼神を祭るといって毎年旧暦の十二月八日には餅を作ってウニムーチー(鬼餅)と名付け、折目の行事をするようになったとのことである。

(参考文献:『沖縄の伝説』 源 武雄 編著)


ムーチー顛末記
 1月20日、旧暦の12月8日は沖縄ではムーチーと呼ばれる餅を作り年の数だけ吊し、食べるという行事が行われる。
そこで民研でもムーチーを作りそれを食すという企画がされた。

 1月19日(ムーチー前日)、有志は琉球大学構内よりムーチーに使用する月桃の葉を取ってくる運びとなり材料集めが始まった。

 しかしこの日は奇しくもセンター試験当日であった。
 高校生と監視員しかいない構内の中、月桃の葉を探しさすらう部員。
 多くの人は不審に思ったに違いない。
 そして1月20日、いよいよムーチー作りの開始である。
 しかしなんということだろう、始めに集まったのは内地人3人+沖縄人1人(ムーチー作成経験無し)であった。これではカレーを食べたことのない猿が本格印度カレーを作るようなものである。

材料を前に呆然とする部員達。

しかしここでためらっていては何も始まらない。
前日入手したレシピを元に全て目分量によるムーチー作りが始まった。餅粉に少しずつ水と砂糖を加え「耳たぶ」ほどの硬さに練り、月桃の葉にくるんでいく。

次第に途中参加の部員も増えムーチーを作り続ける我々。
結局総数80個ほどのムーチーをつくることができた。

しかし我々は最初の危機に直面する。

それはムーチーを蒸す道具が無いということであった。

レンジでの蒸し上げに失敗した後、仕方なく鍋とザルを使いムーチーを蒸す。
これは根気がいる作業で一度に蒸せるムーチーは10個が限度である。

蒸している間は何もすることが無くて次第にだれていく部員達。
大貧民を始める者、テレビを見る者、もはや皆ムーチーに対する興味を完全に失ったかのように思われた。

しかしムーチーが蒸し上がるとその味は絶品でありムーチー企画は一見成功したかのようであった。

 

ここで最大の危機が我々を襲う。

おいしく食べられるムーチーは二個が限度であったのだ。

二個食べるともうお腹一杯である。

19日の買い出しで餅粉を計3kgも買い、それをフルに使い調子に乗って80個もムーチーを作った我々は無鉄砲だったのだ。

次第に無言になっていく我々。

そして次々と蒸し上がるムーチー。

そこである部員が口を開いた。

「…この近くに住んでる奴って」

「○○とか××とか」

「あいつら何個食うかな?」

「10個食えるはず(無責任)。」

こうして我々は作りすぎてしまったムーチーを配るべく夜の町へと繰り出していったのだった…。


ムーチーを作ろう!!

 実際に私たちが使用したユニオン(地元スーパー)で配布していた作り方です。私たちは全て目分量でしたがちゃんと量を量って作ればおいしくできるかも?

用意するもの

もち粉…1kg (市版されているもの1袋)
砂糖…500グラム
水…2〜2と1/2力ップ
月桃の葉…50牧 (サンニンのファ)
*牡地の状態をみながら水を加える。

●市販の白玉粉を使った場合
《材料》 9〜10個分
白玉粉(250グラム…1袋
黒砂糖…約1カップ
フーチバー…適量
水…1と1/2カップ
*生地の状態をみながら水を加える。

作り方

@砂糖なら分量のお湯で煮とかして冷ましておきます。白砂糖はそのままでも使用できます。
A大きめのポールにもち粉を入れ、砂糖を2〜3何に分けて入れ、よくもみながら、なめらかになるまで時間をかけてもみます。それを約30分以上そのままにして粉をおちつけます。
B月桃の葉は流水してきれいに洗い、バケツかボール等に根元を下にして水切りして乾かしま
す。
CAの餅の生地を再びこねて、大さじ山盛一杯を月桃の葉にのせます。
D月桃の共は裏側になるところに餅生地をのせますが、その時、2枚の月桃の葉をずらして重ねます。その中央にCの餅生地をおき、両側の残った葉で餅生地を包みこむようにして折り曲げ、次に根元の方も中央に向けて折り曲げたら、葉先の方からも中央に向かって折り曲げ、蒸している途中に餅が流れないように形よくととのえます。出来上がりの形は、幅4〜5cm、長さが10〜15cmにしましたたら、5〜6個を一束としてワラ(または輪ゴム)でしばります。
E蒸し器鍋にたっぷり水を入れ、煮立ってきたらDの餅を入れ、約30〜50分ほど蒸します。の葉の色が変わり、ぐんなりしてきましたら、だいたいと出来上がります。途中、忘れずに鍋の湯がなくなったら、さし湯をしてください。

ポイント

●餅生地の固さは、個人差があります。形がくずれないぐらいのやや固めのやわらかさにし大きさを均等にするため大さじを使用します
●餅生地の中に、芋をつぶして入れたり、マッシュポテトを入れたり、さらしあん粉を入れる方もおられます。
●餅生地にサラダ油を少量入れると、共にくっつかず餅がはがれやすい



首里金城町巡検

 1月23日、ムーチーの興奮さめやらぬ私たちは実際に鬼が死んだと伝えられるホーハイ御嶽を見るため、那覇市首里金城町に巡検に出かけた。首里金城町は昔ながらの石畳風景が美しい場所で観光スポットとしてもお勧めである。
 ホーハイ御嶽はアカギの木への案内看板が有るのでそこから行くことができる。@のポイントにはホーハイ御嶽の他に大嶽と呼ばれる御嶽もある。辺りは杜になっておりどことなく侵しがたい雰囲気に包まれていた。実際に鬼が落ちたと思われる崖は下の写真のような場所である。…打ち所が悪ければ死ぬかもしれない。

■ホーハイ御嶽

■鬼が落ちた場所(?)

 その後、首里金城町の案内看板に従って金城大樋川、ナクヌカー、新垣ヌカー、ウスクカーなどを見学した。何だか巡検と言うよりは観光に近い感じであった。しかし、何度見ても金城町の石畳風景は圧巻であり、素晴らしい。まだ行ったことのない人、近くに住んでいるがじっくり歩いたことのない人は是非一度足を運んで見て欲しい。


■ウスクカー



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