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最新更新日
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03/06/25 |
ムーチーを作る
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著者:新津ゆうた
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ムーチー(鬼餅)
十二月八日にムーチー(鬼餅)折目と呼ばれる行事がある。この行事は沖縄本島中南部を中心に本島全域で行われているものである。 ムーチーは「鬼餅」の当て字をしているとおり、元来は悪鬼悪霊の退散を祈る物忌み行事である。那覇地域ではムーチーの煮汁は「鬼の足を焼く」と唱えながら門口や家の隅々に注ぎかけたり、昔はクバの葉で鬼の形を作り、門口にかけて邪気を祓ったともいう。 ムーチーは幅三センチ、長さ十センチくらいの餅を「サンニン」(月桃)や「クバ」(蒲葵)の葉に包んでこれを蒸して作った。これを神仏に供え、子供たちにはムーチーをすだれのように年の数だけ編んで壁や天井から下げ、男の子にはチカラムーチー(力餅)といって特別に大きく作ったものを添えて子供の成長と健康を祈る。 (参考文献:『那覇市史』資料編 第2巻中の7 <那覇の民俗>) |
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ムーチー顛末記
1月20日、旧暦の12月8日は沖縄ではムーチーと呼ばれる餅を作り年の数だけ吊し、食べるという行事が行われる。 そこで民研でもムーチーを作りそれを食すという企画がされた。 1月19日(ムーチー前日)、有志は琉球大学構内よりムーチーに使用する月桃の葉を取ってくる運びとなり材料集めが始まった。 |
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しかしこの日は奇しくもセンター試験当日であった。
高校生と監視員しかいない構内の中、月桃の葉を探しさすらう部員。 |
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多くの人は不審に思ったに違いない。 そして1月20日、いよいよムーチー作りの開始である。 |
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しかしなんということだろう、始めに集まったのは内地人3人+沖縄人1人(ムーチー作成経験無し)であった。これではカレーを食べたことのない猿が本格印度カレーを作るようなものである。
材料を前に呆然とする部員達。 しかしここでためらっていては何も始まらない。 次第に途中参加の部員も増えムーチーを作り続ける我々。 しかし我々は最初の危機に直面する。 それはムーチーを蒸す道具が無いということであった。 レンジでの蒸し上げに失敗した後、仕方なく鍋とザルを使いムーチーを蒸す。 蒸している間は何もすることが無くて次第にだれていく部員達。 しかしムーチーが蒸し上がるとその味は絶品でありムーチー企画は一見成功したかのようであった。
ここで最大の危機が我々を襲う。 おいしく食べられるムーチーは二個が限度であったのだ。 二個食べるともうお腹一杯である。 |
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19日の買い出しで餅粉を計3kgも買い、それをフルに使い調子に乗って80個もムーチーを作った我々は無鉄砲だったのだ。
次第に無言になっていく我々。 そして次々と蒸し上がるムーチー。 そこである部員が口を開いた。 「…この近くに住んでる奴って」 「○○とか××とか」 「あいつら何個食うかな?」 「10個食えるはず(無責任)。」 こうして我々は作りすぎてしまったムーチーを配るべく夜の町へと繰り出していったのだった…。 |
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ムーチーを作ろう!!
実際に私たちが使用したユニオン(地元スーパー)で配布していた作り方です。私たちは全て目分量でしたがちゃんと量を量って作ればおいしくできるかも? 用意するもの もち粉…1kg (市版されているもの1袋) ●市販の白玉粉を使った場合 作り方 @砂糖なら分量のお湯で煮とかして冷ましておきます。白砂糖はそのままでも使用できます。 ポイント ●餅生地の固さは、個人差があります。形がくずれないぐらいのやや固めのやわらかさにし大きさを均等にするため大さじを使用します |
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首里金城町巡検 |
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1月23日、ムーチーの興奮さめやらぬ私たちは実際に鬼が死んだと伝えられるホーハイ御嶽を見るため、那覇市首里金城町に巡検に出かけた。首里金城町は昔ながらの石畳風景が美しい場所で観光スポットとしてもお勧めである。 ホーハイ御嶽はアカギの木への案内看板が有るのでそこから行くことができる。@のポイントにはホーハイ御嶽の他に大嶽と呼ばれる御嶽もある。辺りは杜になっておりどことなく侵しがたい雰囲気に包まれていた。実際に鬼が落ちたと思われる崖は下の写真のような場所である。…打ち所が悪ければ死ぬかもしれない。 |
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![]() ■ホーハイ御嶽 |
![]() ■鬼が落ちた場所(?) |
その後、首里金城町の案内看板に従って金城大樋川、ナクヌカー、新垣ヌカー、ウスクカーなどを見学した。何だか巡検と言うよりは観光に近い感じであった。しかし、何度見ても金城町の石畳風景は圧巻であり、素晴らしい。まだ行ったことのない人、近くに住んでいるがじっくり歩いたことのない人は是非一度足を運んで見て欲しい。 |
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![]() ■ウスクカー |